ビーコアのブログ

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【社長の場外乱闘 #04】春のエンタメ祭

2023-04-07

前回からちょっと間が開いてしまいましたが、場外乱闘の4回目です。
今回はここ最近行った公演や展覧会からいくつかご紹介します。

大野和士指揮 東京都交響楽団
【リゲティの秘密-生誕100年記念-】
ヴァイオリン&声/パトリツィア・コパチンスカヤ*/**
【リゲティの秘密-生誕100年記念-】
リゲティ(アブラハムセン編曲):虹~ピアノのための練習曲集第1巻より[日本初演]
リゲティ:ヴァイオリン協奏曲*
バルトーク:《中国の不思議な役人》op.19 Sz.73(全曲)
リゲティ:マカーブルの秘密**

安定の東京都交響楽団の定期演奏会ですが、3月のリゲティの秘密はまたの神企画でした。特筆すべきは後半の構成です。バルトーク「中国の不思議な役人全曲版」からリガティ「マカーブルの秘密」は絶賛するしかありません。「中国の不思議な役人」はパントマイムの舞台音楽として作曲された曲ですが、強烈なストーリーが背景にあります。三人の悪党が少女に売春をさせて、客の中国の役人から金品を略奪して惨殺。中国の役人(宦官)は封印されていたエロ欲求が少女によって噴出し、欲望が満たされないままでは絶命できず、ゾンビのように何度も息を吹き返して悪党達に迫る。悪党三人組はこれでもかとゾンビ化した宦官を痛めつけ、最後は息絶えるというなんともダークな台本。バルトークがこの台本に惚れ込み、作曲した曰く付きの作品です。大野指揮の都響は変幻自在にチンピラ軍団とゾンビを表現、とぐろを巻くような演奏と強烈な音圧に圧倒されました。人間の持つ未知のモノへの恐怖、獣のような残虐性、エロとグロが大好きな本質がこれでもかと表現されていたと思います。エログロ起点でこれだけの芸術作品に昇華させてしまうバルトークが偉大なのはもちろんですが、原曲の意図を更に磨き込んで現代の観客に提示し圧倒した大野指揮の都響にはただただ脱帽。リゲティに大きな影響を与えたバルトーク作品をプログラムの中心に据えたのは大成功だと思いました。

直後に演奏されたマカーブルの秘密。コパチンスカヤは白いドレスに新聞紙やポリ袋をたくさん付けた衣装で、ピエロのようなメイク。まるでバットマンに出てくる JOKER みたいです。奇抜な衣装で、凄まじい勢いでヴァイオリンを演奏、歌い、叫び、床を踏みつけ、駆け回る。指揮者の大野さんも、都響の楽団員もそれに呼応して叫び、床を踏み鳴らす。大野さんが「こんなのやってられない、侍ジャパンの栗山監督、僕を助けて」と叫んだのには驚愕しました。今まで観たことも聞いたこともない強烈なパフォーマンスには大感激です!これは現代アートか???

本演奏会では人間の持つ恐怖心から引き起こされる残虐性、それを触媒のように刺激するエロという構図が現代も昔も不変なんだと改めて気づかされました。それにしても、コパチンスカヤの JOKER メイクと奇抜な衣装には驚愕です。もしも映画だったら、ヴァイオリンをマシンガンに持ち替えて楽団員も観客も皆殺しの血みどろ残虐シーンとなるかもと妄想を膨らませてしまいます。それを救えるのは栗山監督率いる侍JAPANからもらえる「夢・希望・実現」というオチでした。

東京都交響楽団

写真引用元:東京都交響楽団

新作歌舞伎【ファイナルファンタジー X】

尾上菊之助が企画・演出・主演の新作歌舞伎です。前後編で約7時間、途中の休憩時間を入れると9時間近い拘束時間の超大作。拘束時間長い、ゲームやらないから原作に無知、切符は高額、劇場は豊洲市場前で行くのがやや面倒、と観に行かない理由ばかり思いついてしまい、切符購入するまではかなり悩みました。菊之助は、昨年の国立劇場さよなら公演での義経千本桜の通し三役、歌舞伎座での藤戸の老婆役が息を呑む素晴らしさだったので、役者としての信頼感は抜群です。しかし、以前に歌舞伎座で菊之助の風の谷のナウシカを観た際は、悪くはないけど菊之助は古典の方がいいと思ったのもどこかで心に引っかかりました。 ゲームに詳しいビーコアの社員に原作について聞いてみたら、名作ゲームで相当にハマったとのこと。ゲームの世界観もキャラも素晴らしいとの絶賛です。なるほどなるほど、原作ゲームは菊之助が惚れ込むほど良くできているというのは分かりました。色々悩んだ末に菊之助へのお布施だと自分を説得して前後編の通し券を予約してしまいました。

結論からいえば、観に行って良かったです。前後編で7時間の超大作ですが、最後まで飽きることなく観ることができました。適度に軽い味付けなので、ワーグナーの5時間超の重厚オペラを鑑賞するよりも気楽で、終了後にどっと脳が疲れるようなことはありませんでした。そこは和食(歌舞伎)と西洋料理フルコース(オペラ)との違いかもしれません。前半よりも後半に見どころが多く、より歌舞伎的な演出であっという間に時が過ぎました。主人公チームが、成仏できずにダーク落ちした敵役を次々に成仏させる(異界送り)というストーリーは骨太で見応えがありました。自己犠牲を前提に生と死の世界の橋渡しをする召喚士というキャラ設定はよく出来ていると感じました。

役者に関してのコメントですが、全員が一丸となって良い芝居を造ろうというチームワークを感じました。菊之助が上手に役者たちの持ち味を引き出しています。中でも、召喚士ユウナ役の中村米吉はとても良かったです。若手の女形で少女を演じさせたら米吉はピカイチです。シーモア役の松也も、サイコパスっぽい悪役で存在感が大きかったです。悪役が良い演技をすると俄然舞台は盛り上がります。獅童、彦三郎、橋之助も良かった。鎌倉殿の13人の北条時政でブレイクした彌十郎、この舞台でも時政っぽいダーク落ちしても憎めないお父さん役で、こういう役どころはピッタリでした。特筆すべきは祈り子という難役を演じた菊之助の息子の丑之助。神秘的な役柄を見事に演じ切っています。昨年観た、盛綱陣屋の小四郎の切腹の演技には度肝を抜かれましたが、丑之助は更に進化していました。舞台経験を積めば積むほど役者として成長しているのが分かります。まだ9歳なのにこの存在感。将来がとても楽しみです。

歌舞伎座や国立劇場とは明らかに違う客層で、こういう新作歌舞伎が新たな歌舞伎ファンを増やしていくとしたら、とても良いことだと思いました。菊之助さん頑張りました!

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三月大歌舞伎【花の御所始末】

1974年に帝国劇場で初演された舞台の40年ぶりの上演。シェイクスピア劇のリチャード三世をベースに昭和の黙阿弥・宇野信夫脚本の新作歌舞伎。とても良かったです。

足利義満の次男義教が将軍の座につくために、邪魔者を己の欲望のままにどんどん殺害して権力を手にし、最後は自滅するというお話。義教役の松本幸四郎のダークな悪役っぷりが素晴らしい。幸四郎といえばコミカルな役柄が上手な役者との印象が強かったけれど、今回良い意味で裏切られて、この役者の幅の広さには感心しました。父親の白鴎が演じた 40年前の舞台をずいぶん研究し、再構築したのだろうなと思わせます。今回は畠山左馬之助役の染五郎(幸四郎の息子)が将来義教役でいずれ再演すると思いますが、今から期待に胸が膨らみます。ファミリーで芸を繋いで行く歌舞伎の世界の醍醐味ですね。

畠山満家役の中村芝翫の演技がこのお芝居に重厚感を与えています。畠山満家と足利義教が、お互いを自分の欲の為に利用するやり取りがこの芝居の肝だと思いました。私生活ではいろいろとお騒がせな芝翫ですが、これだけ芸がしっかりしているのをみると、色恋が芸の肥やしになる古典的な歌舞伎役者なんだなーと思いました。芝翫の三人の息子(橋之助・福之助・歌之助)もそれぞれ良い役者に育ってきているので、芝翫夫人の三田寛子ちゃんが良妻賢母なのだろうなと勝手解釈しています。

とても良い芝居なので、次は40年後と言わずに5年に一度くらいは演って欲しいと思わせる舞台でした。ファイナルファンタジー X はいかにも新作歌舞伎という感じでしたが、宇野信夫の作品はもう新作という雰囲気はあまりせず、これもいずれは古典になっていくんだろうなと思わせます。

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写真引用元:松竹株式会社

東京都美術館 【エゴン・シーレ展 レオポルド美術館】

前評判通りの充実した展示でした。ウィーンに行かずして、これら作品群が鑑賞できるなんてとてもラッキーです。エゴン・シーレ(1890〜1918)は世紀末から20世紀初頭に活躍した芸術家です。この時代のウィーンは僕の大好きな作曲家のグスタフ・マーラー(1860 〜1911)が活躍した時期と重なります。エゴン・シーレが生まれたのはマーラーが交響曲第2番復活を作曲していた頃。エゴン・シーレがウィーン画壇に登場するのがマーラー晩年の交響曲第8番の頃です。

エゴン・シーレの初期の作品から展示は始まります。18歳の頃の作品「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」にまずは惹きつけられます。正方形のキャンバスに描かれた花はまるで狩野派の作品のような和を感じさせる繊細なものです。この作品が描かれた 1908 年にマーラーは「大地の歌」を発表します。「大地の歌」は東洋的な作品として認知されていますから、エゴン・シーレとマーラーが共鳴しているかのようです。

エゴン・シーレの代表作である「ほおずきの実のある自画像」とその周辺に配置された作品のあるフロアが本展覧会の最大の見どころです。ほおずきの手前にある「自分を見つめる人 II(死と男)」・「叙情詩人(自画像)」。この3枚の作品があまりに強烈なエネルギーを放つので、30分ほどこの展示室に釘付けとなりました。

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「叙情詩人(自画像)」「ほおずきの実のある自画像」「自分を見つめる人II(死と男)」

ここを抜けると、同じ人物が描いたとは思えない風景画のコーナーが続き、「母と子」・「悲しみの女」の2つの作品が後半の山場となります。この2枚も必見です。同時代のウィーンで生まれたマーラーの楽曲もエゴン・シーレの作品のどちらも死を強く意識していて、繊細さと大胆さが同居している点でもよく似ていると感じました。この二人はどこかで繋がっているとしか思えません。

本展覧会ではエゴン・シーレ以外のウィーン分離派の作品群もたくさん展示されています。僕が特に興味深く観れたのはオスカー・ココシュカの作品です。グスタフ・マーラーの未亡人アルマ・マーラーと恋愛関係にあったココシュカの「ハーマン・シュヴァルツヴァルト 2 世」は特に印象に残りました。必見の展覧会です。

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「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」「母と子」「悲しみの女」 「ハーマン・シュヴァルツヴァルト 2 世」
掲載画像 Leopold Museum, Vienna

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